Upgrade Formula-上達の公式-は「骨太な土台を創る」アドオン型スキルアップセミナー
これまでになかった新しいコンセプトのセミナーです。Upgrade Formula をより深く知っていただくために、なぜ、このコンセプトに至ったのか、その「経緯」をお話ししたいと思います。
是非、読んでみてください。

・・・・・・・・・・
目次
序章 「修行期」~我武者羅(がむしゃら)で手に入れた「土台」~
第二章「創成期」~上達を「妨げる」2つのハードル~
第三章「熟成期」~上達に「欠かせない」最後のピース~
最終章「そして…完成」~骨太なセラピストの土台を「創る」~
おまけ ~Upgradeしたその先へ…~
・・・・・・・・・・

序章 「修行期」~我武者羅(がむしゃら)で手に入れた「土台」~

 今からおよそ20年前、製薬会社の営業(いわゆるMR[医薬情報担当者])から脱サラして、理学療法士の国家資格を取得し、リハビリの道を歩み始めました。養成校時代、実技があまり得意とは言えず、試験はいつもギリギリ合格。いくら意欲があっても、腕がなければ何もできない。しかも現役で資格を取得した同期とは9歳差。時間がない、早く何とかしなければ。私は一人前になるための修行と思って、毎日、貪(むさぼ)りつくように専門書を読み漁(あさ)り、地元「福岡」にとどまらず、東京・名古屋・大阪・広島、全国各地で開催されるセミナーを我武者羅(がむしゃら)に受け続けました。セミナーでは、率先してデモ役になって指導者の手技を体感し、配布資料だけではわからない重要ポイントを探し出しては、必死にメモを取りました。そして施設へ戻れば、同僚セラピストの身体を借りながら、何度も練習を重ねていきました。すると実技はそれなりに上手くなり、効果も出るようになりました。しかし、もしも自分の手技に確信を持てるか?と問われたとしたら、自信を持って「はい」と答えるには、まだ「何か足りない」そう感じていました。

 もっと上手くなりたい、でも上手く「できているか」「できていないか」はっきりと自分ではわからない、そんな時期を2年あまり過ごしていたある日のこと。いつものように練習していた時、「んっ?」これまでとは全く違う感触を感じました。身体を僅(わず)かに動かしたとき、相手の骨がまるで自分と「一緒」に動いている感じがしたのです。相手に聞いてみると、私と同じように感じていることも判りました。「この感覚をもっと高めていけば良いのでは?」私は患者さんへのリハビリや同僚との練習で、何度も相手に感想を聞きながら、自分の知覚と照らし合わせていきました。すると、次第に骨だけでなく、筋や結合組織等の動きまでも感じ取れるようになり、自分の手技で相手の反応を引き出せるようになりました。時間はかなりかかったけど、ようやく「できているのか」「できていないのか」自分自身でわかるようになった。ようやく結果を出せるだけでなく、患者さんやセラピスト、誰から見られても恥ずかしくない技術が身についた。私はそう思いました。でもセラピストに求められているのは「art & science」、職人のようにart(感性)だけに頼っていては、この手技も単なる「勘」にすぎない。今は芸術作品でさえ科学的に解析される時代。science(科学)の裏付けがあれば、技術の信頼性が上がるだけでなく、誰もが同じようにこの感覚を再現できるはず。さらに、時間をかけて身につけたからこそ、他のどの指導者よりもわからないことが良く「わかる」。この強みを活かせば、私と同じように「上手くなりたいけど、どうしたら良いのかわからない」と悩んでいるセラピストに対して、その人が抱えている問題点をいちはやく見つけ出して、ピンポイントにアドバイスできるはず。そうすれば、私のように苦しむことなく、技術をもっと効率的に習得できるのではないか。私はそう考えて、まずは定期的に院内勉強会を開催して、自身の理解力と技術力をさらに磨きながら、指導力を高めていくことにしました。

第二章「創成期」~上達を「妨げる」2つのハードル~

 勉強会を立ち上げたとはいえ、教えることに関してはまだまだ素人(しろうと)。まずはこれまでに受講したセミナーをまねることから始めることにしました。でも、するからにはまねる以上のことをしたい。私はセミナーを受けたときには、これまで以上に背景にある狙いは何か?考えるようになりました。そして勉強会では、書籍やセミナーの内容をそのまま伝えるのではなく、その背景や解釈にまで踏み込みこんで解説するように心がけました。実技では、セミナーで教わった型や方法を忠実に伝えるだけでなく、経験で得た独自のポイントなどを加えていきました。勉強会をする度に「教えるにはもっと深く理解しないといけない」そう反省ながら、さらに自己学習と勉強会を繰り返していくと、自分の理解力と技術力がどんどん上がっていくのが、手に取るようにわかりました。参加者からも「わかりやすい」と言われるようになってきましたが「手ごたえがない」。まだまだ指導力が足りない。このままではこれまでのセミナーと何ら変わりがない気がしていました。

 そんな中、職場を変わることになり、私は福岡近郊の個人病院から福岡市内にある国立の医療センターへと職場を移りました。私はスタッフの中で「最年少」、しかも経験が「10年以上」も違う先生ばかり。院内勉強会なんて開催できません。「中途半端で終わりたくない」、私は様々な講習会で知り合った「つて」を頼りに他の施設で教える機会を探しました。幸運にも「勉強会をして欲しい」「勉強会を手伝ってほしい」と手を差し伸べてくれるセラピストが現れました。気が付いたときには、定期的に福岡県と山口県の4施設で教えていて、結果的にはかえって教える機会がぐっと増えていました。私は教える「手ごたえ」を求めて、参加者が「何処」で躓(つまず)いているのか、「何」に悩んでいるのか、より一層、考えるようになりました。するとあるとき、私はいつの間にか「教える」立場でしかものごとを考えていないことに気付きました。「教える」立場から「教わる」立場へ視点を変えてみると、上達を妨げている2つのハードルがあったのです。

 ひとつめのハードルは「わかる」こと。新しい知識や技術を「1」から学ぶ時、まずはその内容を「知る」だけでなく「わかる」のも大切。一度でわかる量には限界があるのに、内容が盛りだくさん過ぎるセミナーはとても多い。「教える」立場からすれば、できるだけ多く学んでもらいたいから、内容を詰め込みがちになる。でもそうしてしまうと、セミナーでは解説する時間が足りなくなり、内容をただ「伝える」だけになって、十分に「教える」ことができなくなる。これではセミナーの魅力が半減するのに、配布資料という「保険」があるから、もし説明が不十分になっても、後で資料を見れば、「わかる」ハズ。そう勝手に思いこんで、参加者が「わからない」ことなど全然気にならなくなってしまう。一方「教わる」立場からしても、時間に追われるように進んでいくセミナーは内容を「なぞる」ことで精いっぱい。「知る」こともままならないから、全然、頭に入らないし「わかる」はずもない。それでも配布資料という「保険」があるから、もしセミナーでよくわからなくても、後で資料を見れば、「わかる」ハズ。そう考えてしまい、セミナーの受講中に「わからない」ことが出てきても気に留めなくなっていく。よくわからない部分は後から見てもやはり「よくわからない」。さらに解説のない部分が多くなればなるほど、未知の世界が増えるだけ。さらにわからなくなる。いつまで経っても消化不良が解消されないから、結局、諦めてしまう。資料の「わからない」部分には、疑問・感想・印象等の「手書き」のメモを書き込んであって、さらに指導者からのコメントも書き込んであって、はじめて活きた資料になる。それを何度も読み返しながら、時間をかけて理解する。結局、これが「わかる」ために必ず通らなければいけない路(みち)。だったら、もっと指導者が情報を吟味した方が良い。私はセミナーの内容を絞るだけでなく、資料はポイントだけを載せて、セミナーの中でできるだけ具体的にメモがとれるように解説を工夫していきました。すると、資料をただ眺めていた参加者がメモを取りながら解説を聞くようになりました。さらに解説の合間に質問を受け付けるようにすると、少人数なこともあって、「わからない」ことがあれば質問してくれるようになり、セミナーがアットホームでアクティブな雰囲気になっていきました。

 ふたつめのハードルは「使う」こと。知識を使うのは「わかる」以上にハードルが高い。「教える」立場からすれば、わからないと使えないから、セミナーは「わかる」ことだけに焦点をあててしまいがち。言い換えると、わかりさえすれば、誰でも「使える」ハズと考えているから、使うことには気が回らない。一方「教わる」立場からすれば、たとえ「わかる」ようになっても、「使える」かどうかは試してみないとわからない。「取扱説明書」を読んでもすぐには電化製品を使いこなせないように、何でも使い始めが一番ストレスを感じる。だから簡単な使い方まで教えて欲しいと思っているのに、セミナーではなかなかそこまで聞くことができない。するとセミナーで「わかった」ことも、臨床での使い方がよくわからないから「使えない」。すると次第に使おうとも思わなくなっていく。これではせっかく学んだ知識も宝の持ち腐れ。そうならないように、解説では「使う」ことを意識して、できるだけ臨床的な具体例を用いながら、さらに「使う」ためのヒントを盛り込むように心がけました。

 技術を使うのはさらにハードルが高くなる。ほとんどの実技セミナーは手技の「型」をただ教えるだけ。「教える」立場でも「教わる」立場でも、型が「わかる」ようになれば、必ず「使える」ようになると考えているから、見た目の「型」だけにこだわるようになる。でも、そんなにこだわって学んだ実技なのに、実際に使ってみたら効果が思うように出たり出なかったり。このときに何が問題なのかハッキリしないからスッキリしないし、改善のしようもないから、ほとんどのセラピストは次第に使わなくなっていく。ここが最大の難関。私自身、習得する前は「どうすれば良いのか、わからない」時期がしばらく続いた。このとき、ターニングポイント(分岐点)となったのが「感覚」。手技の「型」から動きの「感覚」へと焦点を移してみると、受けた感覚と手技の効果がリンクするようになり、受けた感覚で効果と逆効果を的確に判別できるようになった。私は試行錯誤の末にようやくこの感覚の違いに気付いたが、それをセミナーであらかじめ経験しておけば、上手くできているかどうかの手がかりになり、自分自身で効果を検証できる。参加者が患者役になり、実技の効果を「体感」することはどのセミナーでもしている。それに加えて、私は参加者の手や身体に自身の手を添えながら一緒に動き、感覚を共有することで「私」の感覚を参加者にも感じてもらいながらその効果を体験したり、私自身が患者役になって参加者の実技を受けてフィードバックしたりして、上手くできているときとできていないときの感覚の違いを経験し、参加者が自身の習得度を「実感」しながらコツをつかむきっかけや手がかりを得られるようにしていきました。

 「わかる」と「使う」この2つのハードルを乗り越えられるように内容や方法を工夫していくと、参加者の取り組む姿勢がもっと積極的になって、表情が一段と変わっていきました。私自身も指導のスタイルが確立して「これならいける!」手ごたえを感じていました。しかし、まだこれでも完璧ではありませんでした。セミナーの時に「わかった」ことや「できた」ことが、しばらくすると「わからなく」なって「できなく」なる。こんな一進一退を繰り返す参加者がいるのです。越えたはずのハードルが再び越えられなくなる。なかなか習得できずに苦労している参加者にとって、必要なピース(欠片)がまだどこかにある。私はそう思いました。せっかく参加したのだからひとり残らず習得して欲しい。そのためにできることがまだあるはず。私はセミナーをさらに工夫していきましたが、効果的な解決策を見つけられませんでした。

第三章「熟成期」~上達に「欠かせない」最後のピース~

 福岡市内にある国立の医療センターから熊本県にある私立大学へと職場を移っても、私はセミナーや学生への指導を通じて、習得に必要な最後のピースを探し続けました。セミナーの参加者とはセミナーでしか会えませんが、学生とは毎日のように顔を合わせます。「現役」のセラピストだけでなく大学に通うセラピストの「卵」も教えることで、ようやく上達に欠かせない最後のピースに気付きました。最後のピースはセミナーの内容や方法ではなかったのです。

 なかなか上達しない学生には共通する3つの「ない」がありました。それは「質問」しない、「復習」しない、そして「継続」しない。でも学生とセミナーの参加者では大きく違うところがあります。それは「意欲」と「時間」。学生は養成校の決められたカリキュラムの中で知識や技術を学ぶので、参加する姿勢が受け身になりやすく、意欲も高まらないから質問しない。一方、セミナーの参加者は自らの意思で受講しているから意欲は十分、質問しない人はほとんどいない。それでも上手くいかないということは、問題は「時間」。学生は学んだことを復習する時間が十分にあるのに「しない」。でもセラピストは日々の業務で忙しく、復習する時間の余裕がないから、したくても「できない」のです。復習できないのに「継続」なんてできるはずもない。野球やダンスなどのスポーツ、ピアノなどの演奏、勉強だってそう、知識や技術は何度も何度も「繰り返す」ことで身につけてきたはず。「すぐ」に身につくものなんてひとつもない。上達に「欠かせない」最後のピースは身につくまで繰り返し復習することだったのです。セミナーの参加者は継続して復習するのが難しい。そうとわかれば、支援すれば良いだけのこと。習慣になるまでには約3週間の「継続」が必要と言われている。ならば習慣になるまでの「助走」として、セミナー終了後から4週間、セミナーのポイント等を整理したメール(通称:メルサポ)を送って、スキマ時間を活用しながら復習できるようにしました。これまでにない初めての試みでしたが、評判は上々。継続してセミナーに参加しているセラピストを観ると、知識と技術が着実に身につき上達が「加速」しているのを感じました。「これでいける!」こうして指導の骨格ができあがりました。

最終章「そして…完成へ」~骨太な「土台」を創る~

 10年の時を経て、私は研究・教育から臨床へ戻る決断をし、それに合わせて心機一転、新しいセミナーを立ち上げることにしました。その理由はリハビリが「専門性」に傾倒するあまり、基礎がなおざり(おろそか)になりつつあると感じているから。セラピストは「医療専門職」。だから専門性を深めれば深める程、質の高いリハビリが提供できると思うのは当然のこと。実際、私はそう思いながら、解剖学、生理学、運動学、脳科学、心理学、身体の動きに関連する様々な分野を手当たり次第に学び続けた時期がありました。しかし、身体の動きへの理解が深まるにつれて、考えが変わりました。それは「本質」さえ見極めれば、後は「枝葉」に過ぎないということ。医療の世界は「日進月歩」、いくら学んでも尽きることはない。新しいことを学び続ける姿勢はとても大切ですが、その本質に気付かなければ底の「抜けた」水槽と同じ。上から水をいくら注ぎ続けても水がたまらないように、いくら学んでも十分な効果は得られない。手当たり次第では無駄に終わってしまう可能性が高いのです。そうならないためには、身体の動きの基礎をしっかりと身につけ、本質を見極める眼を養うしかない。

 身体の動きの基礎はすでに養成校で学んでいるから問題ないと思うかもしれません。でも実際には、学生は学ぶことが多過ぎて、基礎を十分に習得できずにその重要性にも気付かないまま卒業してしまう。学生が悪いのではありません。時間が全く足りないのです。それでも国家試験を通過してしまえば一人前のセラピストとして働きはじめる。はじめのうちは「これで良いのかな?」と自身の知識や技術に疑問を抱いていても、時間が経つにつれて自己流にも慣れて、次第に考えないようになっていくのです。セミナーの参加者に基礎の不十分なセラピストの多い理由がようやくはっきりしました。

 それでも、やはり「何とかしたい」「上手くなりたい」「自分の手技に自信を持ちたい」でもどうすれば良いのかわからない。以前の私と同じようにこんなモヤモヤした気持ちで過ごしているセラピストはかなり多いのではないか、以前からそう感じていました。しかし知識や技術をピンポイントに「深掘り」するセミナーはあっても、基礎力をトータルに「底上げ」するセミナーがどこにも見当たらない。どうすることもできないでいるのです。「本質を押さえるだけで、効果が劇的に変わる」こんな経験を味わいながら、自身の基礎を徹底的にチェックできるセミナーがあれば、セラピストとしての骨太な「土台」が構築でき、モヤモヤもきっと晴れるハズ。私は基礎だけに焦点を「絞る」、大切なポイントは何度でも「繰り返す」、新しい視点で思考を「刺激する」、これまでになかった新しいスタイルのセミナーを立ち上げることに決めました。

 私は対象者に合わせて身体を自由にコントロールできる「身体力」、視座を自由に変えて動きを多角的に解釈できる「観察力」、動かす感覚から心と身体の状態を解析できる「解析力」、動きをモニタリングしながら適切な動きを創造できる「創造力」、動きをイメージ(想像)して適切な環境を創造できる「想像力」、セラピストに要求されるこれら5つの能力をセミナーのテーマにしました。そしてそれぞれの力を磨きながら「マニュアルコンタクト」「ハンドリング」「ボディメカニクス」、徒手療法の3つの「基礎」技術を習得し、さらに動きの「個性」に着目したシステムアプローチメソッド Motion Fitting®を通じて「動きの本質とは何か?」を学び、思考を活性化することにしました。

 指導の方法も「画一的」から「個別的」へとさらに変わりました。勉強会を始めた頃は私自身が感じたコツやポイントを「画一的」に教えていました。でもそれでは上手くいくときもあればいかないときもある。上手くいかないときは私の教え方が悪いとばかり思っていました。しかし違いました。当たり前のことをすっかり忘れていたのです。それは、私と参加者は「違う」ということ。体格も力強さもしなやかさも違うから、感じかたや動きかたが私とは違う。動きは「固有」なのです。そこで、一緒に動きながら知覚と動作を共有する「個別的」な方法を取り入れました。すると動きの個性や癖だけでなく上達を妨げている原因までハッキリわかるようになり、指導がより的確になったのです。参加者も自身の動きの特徴や問題点を体感できるので納得しやすく、さらに参加者が抱えている問題点へアプローチすれば、さらに能力が高まることもわかりました。指導のスタンスを変えてみると、動きを高い視座から俯瞰(ふかん)できるようになり、動きの理解がさらに深まりました。やはり知識・技術の「仕上げ」は教えるのが一番。そう痛感して、ティーチング・コーチング・カウンセリングを駆使して、動きを効率的に習得させることができる「指導力」をセミナーへ新たに加え、アドオン型スキルアップセミナー「Upgrade Formula-上達の公式-」の骨格が完成しました。

 私は実技がとても下手くそでした。「上手くなりたい」その一心で日々を過ごしたからこそ「今」があります。だから、私はいわゆる「ゴッドハンド(神の手)」ではありません。しかし基礎的な知識と技術を学び、徹底的に復習していけば、「誰」もが患者さんに合わせた身体にやさしい動きを創ることが必ずできるようになります。なぜなら、私自身がそれを「実証」しているからです。セミナーで患者さんの気持ちを「体感」して、私と一緒に動きながらセラピストの気持ちを「共感」して、自分自身でその効果を「実感」する。さらに臨床で自在に活用できるまで、復習を「継続」する。「体感・共感・実感」そして「継続」、この流れこそが知識・技術を最短距離で習得する上達の「Formula(公式)」に違いない。私はそう確信してセミナーの名称をUpgrade Formulaとしました。この骨太な「土台」さえあれば、それだけで十分な「結果」を導くことができるようになります。さらにその先、様々な徒手療法を学んでもスムーズに習得できるし、なによりも上達のステップを経験しているからスキルアップがどんどん加速するハズです。セミナーは「学びたい!」そう思い立ったときに「すぐ」参加できるように、どこからでも学べるアドオン型のスタイルにしました。私は経験年数を尋ねることはありません。なぜなら上手くなりたい気持ちに経験は要らないからです。1年目でも10年を超えていても「上達したい」その熱意さえあれば、私は徹底的にサポートします。是非、上達への「第一歩」を踏み出してほしい、そう願っています。

最後に…
私が知識を身につけたと判断する「基準」はただひとつ
自身の「言葉」を使い分けて、患者・医療スタッフ・セラピストを「充分」に納得させることができるか?
私が技術を身につけたと判断する「基準」はただひとつ
自身の「手技」で、即時的な効果と逆効果を「意図的」に導くことができるか?

-完-

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

おまけ ~Upgradeした「その先」へ~

 私は「目の前にいるひとりの患者さんを何とかしたい」その一心で知識と技術を研鑽してきましたが、気が付いたときには、私は動きの「システム」の素晴らしさに魅了されていました。学びには終わりがありません。これからも動きの本質とは何か?とことん突き詰めていきたいと思っています。このセミナーはまだまだ「発展途上」。自分ひとりの力ではどうしても限界があります。人が集まればsynergyが起こり、その効果は何十倍にも何百倍にもなるはずです。その思いから、仲間と一緒にさらなる向上を目指す職人(セラピスト)集団【Upgrade Club】を立ち上げました。ヒトの動きにこだわり、相手の動きにこだわり、そして自分の動きにもこだわる。動きのスペシャリストでありながら特定の分野や概念だけにとらわれない動きのジェネラリスト「総合専門職」を目指していく。そんな仲間と共に切磋琢磨できる「場」を創り、私自身もセミナーも「進化(深化)」していきたい、そう考えています。一緒に活動しませんか?

Upgrade Formula HOME…HOME
セミナーの構成・内容…Contents
受講者の声(感想)…Voice
受講の申し込み…entry
Motion Fittingについて
代表プロフィール…Profile